心の変化がおきるまで 生き方に迷い始めるきっかけ

前回幼少期のときどんな自分を作り上げていったのか

少し書かせてもらいました。

assist-design.hatenablog.com

 

 

人に合わせる、怒りに触れないことをする、これが心の無意識奥深くに育ち

「自分」になっていたのです。

 

人に合わせる、怒りに触れないことをする

このことは私はn-techに出会うまで理解できず

自分の中であたり前になっていたことで

家族にも友人にも恋人にもこの状態でコミニュケーションをしていたのです。

この交流をすればするほど

深い話もできず、相手の意見だけに流され、常に諦め出発のことしかできませんでした。

私はこの自分の現在地もよく理解せずに社会人に突入することになったのです。

 

人に合わせる、怒りに触れないことをする

このことで一見人とうまく生きてるいるよに見えていたのですが

社会にでると、自分の意見はなんなのか

アイディアを求められるようになりました。

だからこそ、色々と頑張って考えるのですが

自分が今まで何をしたいかも考える習慣化もなかったために

人に何か言われえないとアイディアも、意見もまとまらずの日々を送ることになったのです。

 

先輩からは怒られる日々は続いたなか

営業さんからの「君は中身が空っぽなんだね」と言われることがあったのです。

 

このことを界にどう生きればいいのかわからなくなってしまったのです

 

 

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ありがとう

感謝を述べるときに

ありがとうと当たり前に使う

 

漢字で書くと

 

「有り難う」

有に難がくっつく。

 

有る 難しい

どういうことなのかな??

 

私が感じたのは

感謝を表現するのって

当たり前にできることでもないのかなと

間違ってる解釈かもだけど笑

 

感謝することも

感謝されるとこも

 

素敵なことです。

 

明日からもっと感謝したくなったら

心込めて使いたいです(*^^*)

 

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フラットに出会いたい

応援しあえる関係性をつくりたい

そう思う理由には色々な限界もありました。

 

私はずっと上下関係もないそんな関係性を憧れていました。

母の影響で怒ったり、厳しい人を目の前にするとものすごく自分が小さくなり

言いたいことも言えず、さらに相手をイライラさせていました。

だけど、本当は何を伝えたいかもちゃんと話したくて

いつも悔しくて悲しい気持ちなっていて、その人たちとは関係を築いていくことは難しかったです。

フラットにどんなことでも話せる関係性をずっと望んで

だけど、どうしても自分が手放せない言動や行動があって

本当はずっとそこから自由になって人と出会っていきたかったんです。

 

そんな時に出会ったのがn-tech、認識技術でした。

日々の出会い、そして人との出会い方が代わりすごく心が楽しくなっていく自分がわかりました。

その出会いから早5年、もっともっといろんな人と出会って関係性をこれからも作りたいです。

 

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生き方が人を動かしている

7月初旬

おばあちゃんとの突然のお別れがありました

81才でした

7年前に認知症を発症していたおばあちゃん

もうここ3年くらいは私のことも家族のことも覚えていませんでした

 

記憶として残って話しているのは

「まぁぼ」「かずとみ」

まぁぼは私のおじさん、おばあちゃんの子供

かずとみは既に亡くなっているおばあちゃんの弟さん

 

この2人を覚えてるのも理由があるんだろうなと感じ

 

そこにはおばあちゃんの生き方があったんだなと気づきました

 

おばあちゃんは福岡県の八女市出身

3人兄弟の長女として生まれ

お父さんは戦死されていたそうです

 

まだ自分も幼いのに

下の妹、弟の面倒をみなきゃいけないと

常に自分のことではなく、人の為に行動していたよって

葬式の間、おばあちゃんの妹が話てくれました

特に末っ子の「かずとみ」はものすごく可愛がり面倒をみていたそうです

 

自分のことは置いといて、人を心配して、人のために常に考えていた

葬式ではみんな口を揃えてその話をしていました

それがおばあちゃんの生き方になっていたんだなと亡くなった今、深く感じれました

 

認知症って昔の記憶が出てくるというけど

その人の考えて方や生き方に繋がるものがでてくるんじゃないかなとおばあちゃんを通して感じました

「かずとみ」も「まぁぼ」もおばあちゃんにとっては

特に人のために何かをしようと思える存在だったんだな

 

お別れは悲しかったけど

どんな風に人と接するのかで、その人の生き方が創られていること

そしてその生き方によって周りのひとが動かされていくことが

深く理解できたお別れでした

 

おばあちゃん、ありがとう

そして本当にお疲れ様です

 

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もう7月

応援しあえる関係性を創る。

さきちです🎵

 

いよいよ夏になったなと思う天気ですね。

夏は好きです

花火や海の景色が綺麗で

夜に吹く風が

清々しくて

心地いい

 

いよいよ夏本番(●´ω`●)

 

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心の変化がおきるまで 幼少期 母との関係

応援しあえる関係性を創る。

さきちです🎵

N-techの出会いを通して理解できた

当たり前が存在しないこと

 

私たちがみている、この現実

どう考えても有るって思いますよね

触れるから、見えるから、香るから、味わえるから、聞こえるから

嬉しいから、悲しいから、美しいからと感じる感情も存在するって思ってました。

 

 

 

日本に住んでいたら四季を感じられます

でもアフリカにいたら、四季を感じられません

 

東京に住んでいたら満員電車は当たり前です

でも沖縄に住んでいたら、満員電車はありません

 

生まれた時代、場所、環境によってまったく違う人生を歩んでいます。

 

当たり前のように

今見てることだけ、これが全てだと思っていた。

 

全体を見れば様々な生き方、人生があって

私たちがこれからどんな生き方をするのも

今ここ選択し続けているんだと理解できた。

目の前のことで一生懸命いきていく

これが今までの人生をだったと思います。

 

4年前のn-techの出会いを経て

今までの当たり前が有るが破壊されたところから

今までの自分ではないところから変化しています。

その前に変化する前の私を書いてみたいと思います。

 

 

 

 

私は小さい頃から母に愛されて育ってきたと思います。

「さき」「かわいいね」「大好きだよ」

ハグとキスばかりの毎日

言葉なんていらないって思ってたと思います。

 

そんな母が年を重ねると同時に一変していくのでした。

小学校を上がると同時に習い事を詰められ

毎日好きでもないことをやっていました。

ピアノ、バレエ、そろばん、くもん、習字

どれも自分からやりたいなんて思ったものでもなく

ただただ母にしたがってやっていました。

ピアノを間違えれば定規で叩かれ、怒鳴られ、叩かれ

怖くて震えてまた間違えて。

 

習い事がないとき、自分が失敗せずに母の思うことが成功となれば

ハグやキスをしてくれる母

失敗して、母がダメだと思うことをやると恐怖でしかない母だった。

 

あまりのギャップにどれが本当の母なのかわからず

混乱してました。

泣いても叫んでも、誰も助けてくれず

ただ母の怒りに触れないように生きてきたのです

 

それは同時に自分の関係性をつくるベースになり、人に合わせる、怒りに触れないことをする、これが心の無意識奥深くに育ち

「自分」になっていたのです。

 

 

 

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人にいわれて気づくことは宝

応援しあえる関係性を創る。

さきちです🎵

 

最近は仕事仕事、容量良くできず

正直心的になんだろう

落ち込んで自信がない自分になっていたけど

 

高校からの友人の言葉にほろりしてました

 

私はさきちが大事だよ。
さきちが全力で頑張り続けてるのを見てきたから
さきちがしてくれたように
私も支えられる人間になるね

 

私ってそんな風にその子に思われていたんだなと

自分自身では自覚できていないところが

意識できた。

 

私にとって

その子はいつも変化一緒につくれる人

人生のなかでそんな人に出会えるなんてなかなかないなって

 

ありがとう

 

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うに。